先日、東京都台東区の国立西洋美術館で開催されている「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」を鑑賞してきました。
誰もが一度は見たことがある「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴(赤富士)」を生み出した葛飾北斎。その代表作である『冨嶽三十六景』全46図に加え、特別展示2点を含む全48点が一堂に会する貴重な機会です。
浮世絵に詳しくなくても楽しめる展覧会でしたが、実際に鑑賞してみると「同じ作品でも摺られた時期によってこんなに違うのか」と驚かされる場面が何度もありました。
今回は展覧会の見どころと、特に印象に残った作品をご紹介します。

企画展『北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより』の概要
本展は、2024 年に井内コレクションより当館に寄託された北斎の『冨嶽三十六景』(1830‒33年頃)を初披露する展覧会です。本シリーズ全46図を一挙に公開するとともに、特に高い人気を誇る2図については、それぞれ異なる摺りが1点ずつ加わります。追加されるのは、現存作の中でも際立って摺りと保存状態に優れた「神奈川沖浪裏」と、“赤富士”として知られる「凱風快晴」の希少な色変わり版、通称“青富士”の2点です。本展ではこれら合計48点を、十文字学園女子大学教授・樋口一貴氏の監修のもと、本シリーズの版下絵が描かれた順序を辿る6つのグループに分けて展示します。西洋美術を専門とする当館で北斎の代表作をご覧いただくことで、彼の作品が西洋近代の芸術家たちを惹きつけた歴史に思いを馳せつつ、その魅力を再発見していただく機会となれば幸いです。
会期:2026年3月28日[土]-6月14日[日]
開館時間:9:30~17:30(金・土曜日は~20:00)
休館日:月曜日、5月7日[木](ただし、3月30日[月]、5月4日[月・祝]は開館)
入館料:一般2200円、大学生1300円、高校生1000円、
※障害者割引等あり
※より詳しい情報は公式サイトをご確認ください
展示構成
展示室は一部屋のみですが、作品はA〜Fの6グループに分類されています。
一見すると作品を並べただけの展示に見えますが、実は北斎の署名の変化や画風の違いから制作順を推定した構成になっています。
A:北斎の1830年ごろの作品
署名が「北斎改爲一筆」から「前北斎爲一筆」へと展開する傾向があるため、このグループの版下絵が最初に描かれたと推測。
B:浮世絵出版界におけるベロ藍ブームに乗じて制作された藍摺りグループ。藍色が映える空や水がメインの作品。
C:Bグループと署名の書体を比較すると、「爲」が草書に変化。画題として現在の千葉県にのぞむ東京湾の風景を含みます。
D:Cと比較して、署名の書体が「爲」の草書がより簡略化。「前」の書体では、部首であるりっとうの筆運びが縦方向になっているのが特徴
E:「前」のりっとう筆運びが再び横方向に戻っている。
F:署名の書体はEグループと同じ。主版が墨となっている
印象に残った展示作品
神奈川沖浪裏

展覧会の目玉ともいえる作品です。
今回展示されている追加作品は、展覧会開幕直前に井内コレクションへ加わったものだそうです。
近づいて見ると、波の輪郭線が驚くほど鮮明で、飛沫の一本一本までくっきりと確認できます。
浮世絵版画は何度も摺られるため、後の時代になるほど版木が摩耗し線が甘くなります。しかし本作は二重線の欠損がほとんどなく、非常に早い時期に摺られたことがわかるそうです。
教科書やポスターで見慣れた作品でしたが、本物を前にすると波の迫力と緊張感はまったく別物でした。
表裏の両面から鑑賞できる作品


今回の展覧会で特に面白かったのが、一部作品を裏側からも鑑賞できる展示方法です。
普段、美術館では作品の表面しか見ることができません。しかし本展では3作品について裏面も公開されていました。
江戸時代の人々は浮世絵を額装して鑑賞するのではなく、手に取って楽しんでいました。
表から眺め、裏返し、紙の質感を感じながら楽しむ。
そんな当時の鑑賞体験を少しだけ追体験できたのは、今回ならではの魅力だと思います。
そして、展示された3作品から一つ「東海道品川御殿山ノ不二」
満開の桜と富士山を組み合わせた、春らしい一枚です。
画面をよく見ると、花見客で賑わう御殿山の様子が細かく描かれています。
宴会を楽しむ人々、談笑する人々、そして疲れて眠ってしまった子どもを背負う親の姿。
観光名所を描きながらも、人々の日常を温かく描いているところに北斎らしさを感じました。
また桜の表現も印象的で、薄紅色の上に白抜きを施すことで軽やかな春の空気感が見事に表現されています。
身延川裏不二

タイトルにある「裏不二(裏富士)」という言葉が興味深い作品です。
江戸時代には、駿河側から見る富士を「表富士」、甲斐側から見る富士を「裏富士」と呼ぶことがありました。
江戸の人々にとって富士山は日常的に見える存在でしたが、この作品はその“反対側”の富士を描いています。
富士山そのものは変わらないのに、見る場所が変わるだけでまったく異なる風景になる。
『冨嶽三十六景』というシリーズの奥深さを感じさせる一枚でした。
江都駿河町三井見世略図

個人的にもっとも面白かった作品です。
画面には富士山、江戸城、そして越後屋(三井家)が描かれています。
実際の街並みとは異なり、北斎は越後屋の屋根の向きを大胆に変更しています。
なぜそんなことをしたのか。
それは富士山と屋根の白い三角形を美しく配置するため。
つまり北斎は「正確な記録」よりも「画面としての面白さ」を優先したのです。
現代で言えば写真を広角レンズで大胆に撮るような感覚かもしれません。
北斎の構図力の高さを改めて感じる作品でした。
総合評価:★★★★☆
『冨嶽三十六景』と聞くと、「神奈川沖浪裏」や「赤富士」だけを思い浮かべる方も多いかもしれません。
しかし実際に全点を通して鑑賞すると、北斎が描いていたのは富士山だけではなく、その周囲で暮らす人々の営みや江戸の風景そのものでした。
また今回の井内コレクションは保存状態が非常に良く、線の鋭さや色彩の鮮やかさまで堪能できます。摺りの違いを比較できる展示も多く、美術ファンはもちろん、浮世絵初心者にもおすすめできる内容でした。
教科書で見た名作を「知っている作品」から「実際に体験した作品」へ変えてくれる展覧会です。
会期終了前に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。





















